昭和世代が感じる“いまの日本”の変化、私たちが残すものは?
昭和世代、いまの日本に感じる変化、私たちに残された役目 昭和の頃と比べると、いまの日本は本当に姿を変えました。 街並みも、働き方も、人との距離感も価値観も、まるで別の国のようです。 昔は、良くも悪くも、ある程度の“横並び”がありました。 家族の形も、働き方も、生活のリズムも、わりとみんな似ていて、 良い意味での共同体意識もありました。 共同体の面倒さなどもありましたし、それを愚痴る人もいました。 しかし、なぜそれが大切なのかも、わかっていました。 今は、それが、ただ極端に良くない窮屈なことのような論調のほうが、 多く感じる人もいると思いますが、 声が大きな論調と、実際の世論は別もの です。 昭和は、「統制社会化していたか」といえば、そんなこともない。 むしろ、今と比べたら、段違いにない。 それぞれの夢や希望を追うためのプロセスを考えたり、 その道に進んだり、そして、なにより、 努力が報われることが多い(全員とは言わないが)時代でもあった。 だから、大人たちも夢と希望があり、子供たちはその大人たちを見て育つから、 それぞれに夢や努力の価値を感じていた。 今は、その「努力さえ害悪」無駄なもののように言う風潮もある。 これは、下剋上さえ、許さない勝者の論理でもある。 「弱い人コンテンツ」「弱者救済・いいひと」ビジネスが増えたのも事実 それらすべてが、悪いと言ってるわけじゃない。 しかし、福祉や弱者というキーワードを極端に活用(悪用)して ビジネス化している人たちがいるのも事実(政治家やその家族も含め) 家族構成も在り方も、欧米の価値観を是として日本は変わっていった。 良くも悪くも、日本式が悪く古く、欧米式が新しく正しいという、 一見多様化しているように感じていたけれど、 実際は、ただ、日本を捨てて欧米化しただけだった。 今では、ひとり暮らしも、子どものいない家庭も、 働かない選択も、そして、孤独死さえも、どれも特別なことではなくなった。 そして、その 欧米化の価値観の影で、 埋もれていく声が小さい人達 という括りが出てきた。 いつのまにか変容した社会に飲み込まれたことにも気づかず、 『歪んだ自由と平等の対価』 は、 力のない人たち、 声が小さい人達、 ただ、まじめに日々を送ってきた人たちに、 しわ寄せがきた恰好だ。 便利になった一方で、孤独も増え...



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