微々たる貯金は「余力」ではない
それは余裕ではなく、明日の来月の未来の生活を回すためのお金です
最近、家計のことを考える時間が増えました。
光熱費、食費、医療費、税金、社会保険料、ローン返済。
ひとつひとつは「仕方ない支払い」と言われるものでも、毎月まとめて来ると、かなり重いです。
わたしは、お金が余っているから貯めているわけではありません。
そして、私が節約してストックするお金なんて微々たるものです。
むしろ、毎月の予算は、赤字、足りない月のほうが多いです。
微々たるストックは、
次の電気代に回すお金。
急な病院代に備えるお金。
家電が壊れたときのためのお金。
車検や税金、冠婚葬祭、災害、老後。
何か一つ起きたらすぐ崩れるから、使えないだけです。
だから、通帳に少し残っているからといって、それを「余裕」と見られることに強い違和感があります。
それは余ったお金ではなく、生活を止めないために置いているお金です。
貯金できている人ばかりでもありません。
毎月、カード払いやローンでどうにか回している人も大勢います。
食費を削り、外食をやめ、服を買わず、家のものを修理しながら使い、支払い日を見ながら生活している。
そうやって、ぎりぎりのところで毎月をつないでいる人がいます。
それを政治や行政が本当に見ているのか。
そこに、いま大きな不信があります。
国民は、豊かだから我慢しているのではありません。
我慢するしかないから、黙って生活を削っているのです。
そして、家計の不安だけではありません。
金融のデジタル化が進み、銀行や決済、個人情報、金融情報がどこでどう管理されるのか。
メガバンクがAIに依存していく中で、国民の資産やデータの管理権は本当に日本側にあるのか。
便利になるという説明はあっても、責任の所在や危機時の主導権が見えなければ、安心はできません。
これは技術そのものを否定しているのではありません。
問題は、日本国民の預金、日本の金融インフラ、日本のコントロール権が、きちんと守られているのかということです。
さらに、地方では治安への不安もあります。
昔なら、家に少し現金を置いておくことは、災害や急な支払いへの備えでもありました。
しかし今は、それすら怖いと感じる人が増えています。
特に地方のお年寄りは、犯罪の標的にされる不安を抱えています。
ほんの数万円の生活費でさえ、命の危険につながるかもしれない。
現金を持っていても怖い。
すべてをデジタルに寄せても怖い。
では、普通の国民はどこに安心を置けばいいのでしょうか。
国民生活の苦しさは、ひとつの問題だけで起きているわけではありません。
物価高。
税金。
社会保険料。
光熱費。
医療費。
ローン。
金融デジタル化への不安。
地方の治安不安。
国民資産の行方。
そして、政治が生活の現場を見ていないのではないかという疑念。
これらが重なって、毎日の暮らしを重くしています。
その一方で、支援や制度のあり方には不公平感もあります。
日本で暮らし、働き、税金や社会保険料を払い、地域を支えてきた人たちが、後回しにされているように感じる場面があります。
もちろん、困っている人を助けること自体を否定したいのではありません。
けれど、日本国民の生活がここまで苦しくなっている中で、まず足元の国民生活を見てほしい。
そう思うのは、決しておかしなことではないはずです。
わたしが言いたいのは、単純な怒りではありません。
お金がある人の話だけで、国民生活を判断しないでほしい。
政治家の周りにいる人たちの感覚だけで、民間の暮らしを見ないでほしい。
通帳の数字だけを見て、「まだ取れる」と思わないでほしい。
そのお金は、余裕ではありません。
生活を回すためのお金です。
不安に備えるためのお金です。
いざというときに、家族や自分を守るためのお金です。
国民は、泥のように生きたいわけではありません。
普通に働き、普通に支払い、普通に暮らし、少し安心して眠りたいだけです。
それすら難しくなっている現実を、政治はもっと見てほしいと思います。
国民の生活防衛を、財源のように見ないでほしい。
国民の不安を、自己責任で片づけないでほしい。
国民の資産と情報の行方を、曖昧にしないでほしい。
わずかなお金を守りながら、毎月を回している人たちがいる。
貯金すらできず、支払いに追われている人たちがいる。
それが、いまの日本の生活実感です。
この声が、少しでも届いてほしいと思います。




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